まるで外国に来たみたいでした。
ちゅうか俺住んでるとこも外国やんけ!
いう話しですけど、全然感じが違う。
ペリリュー島から更に南下すること小一時間。
南西風が航路を邪魔しますが、
アンガウル島到着です。
アンガウル島は首都コロールから南へ約60km、バリアリーフを越えた外洋に浮かぶ東西3km、南北4kmほどの小さな隆起珊瑚礁の島。
人口160人程の小さなこの島は、『アンガウル州』としてパラオ16州のうちのひとつに数えられています。
島の南側に港がありまして、そこから入港します。
はい。
ウエルカム・アンガウルです。
ここではランドツアーの手配をしてありました。
ランチも港で。
で、メシを食ってるとなんとサインさんのシスターが。
魚のフライとてんこ盛りのご飯を差し入れてくれました。
どうですかね?
似てますかね??
ランドツアーは大体1時間くらいかけて車で島内を観光。
アンガウル島は、パラワンから『モンキーアイランド』言われてまして、サルが多く生息してる島です。
もともとは台湾からの移入種で、パラオ内で繁殖して増えたものをアンガウル島に全て移し、隔離したそうです。
イメージ的には、かなりアグレッシブに寄ってくる予定やったんですけど、野性化したサルは物音に敏感です。
遠めからは姿を確認できても、近くに寄ることはできず。。。
写真は撮れませんでした。
途中では『潮吹き穴』なるワクワクする名前のスポットを観光。
打ち寄せた波が、磯に空いてある穴から噴出す、まさに『潮吹き』。
荒れたらもっと吹くことでしょう。
最後は『サンタマリア』。
マリア像を見ました。
他にも戦跡がちらほら見られました。
アンガウル島はペリリュー島と並んで、第二次世界大戦の激戦地となった場所。
ペリリュー島に上陸した時も感じましたけど、何やら感慨深くなってしまいます。
聞いた話によると、戦況を伝えるために当時の日本兵はアンガウル島から泳いでコロールまで向かったそうです。
昔の人の精神力、体力はえげつないもんがありますね。
ペリリュー~アンガウル間なんか怖くて泳げませんもん。流れもハンパちゃいますしね。
前にペリリューコーナー沖で我慢できんようになって水面で“Do”した時、下みたらシルキーシャークとシルバーチップシャークが周ってまして、半泣きになったことありますから。
他にもアンガウル島が関係してて、皆さんもご存知の場所。
『ジャーマンチャネル』があります。
ジャーマンてドイツのことやけど、なんでドイツなんやろ?て思うた人もいるでしょう。
実はアンガウル島はドイツ統治領時代にリンの鉱石が豊富に眠る島として知られました。
リンの鉱石は海鳥の糞から出来る鉱石で、肥料の原料などになります。
このリンに目をつけたドイツがリンを掘削。
その掘削された鉱石を船で運ぶ時に人工的につくられた水路(チャネル)がジャーマンチャネルなんです。
日本もパラオに目をつけたのは実はこのリンの鉱石が目的だそうです。
第二次大戦後10年間も掘削は続行され、戦後の食糧難を支えていたのは実は遥か南のパラオはアンガウル島だったそうです。
知れば知るほどパラオって国は日本と縁が深い場所やなと感じます。
言葉、食、文化、これだけ離れた国と国とが繋がっている。
ちょっと前は自分がパラオにおるなんか思いもよらへんかったし、今でも不思議な気分です。
実際パラオに来るまでは、名前を知ってる程度。
まさかこんなに日本と深く繋がってるとは知らへんかったし、知ることも無かったかもせえへん。
なんかの縁あってこの国に来て、この国の人と出会い、歴史、文化を知った。
今回も初のアンガウル島に行くことが出来、更にパラオについて知ることが出来た。
百聞は一見に如かず。
これからも色んなモノを見て、学んで行きたいと思う。